今の時代、流行というのは廃れるのが速い。萌えの世界でもそれは例外ではなく、一度「飽和された」なんて物騒なことが言われて以来、その加速度はさらに増しているようにも見える。しかしながら、そんな中に於いても依然として確固たる地位を保ち続けている属性もあるにはあって、例えば内面的な特徴だとツンデレ少女やおっとり系少女、リレーション的な特徴だと幼なじみや年上のおねえさん、そして、外見的なオプションだと、メガネとスクール水着である。
CGの技術が大衆化された昨今、ネット上や萌え関連の雑誌には、自らの腕を競うように、あるいはただひたすら趣味だけのために、イラストレーターたちが萌えを具体化したイラストを生産し公開し続けている。まことにありがたいことであるが、そんな世界の流行に最も敏感な人たちの間でさえも、メガネとスクール水着は根強い人気のオプションとして活躍しており、廃れる様子を見せない。ネコミミなどの動物系のオプションや普通の水着もそうなんじゃないか? という見方もあるかもしれないが、それらは外見的な印象のみではなく内面の特徴にも深く関わってきたり、あるいは柔肌の美しさを表現したりするためのものであり、単純に「どんなキャラにでもよく似合って」「他のオプションとも組み合わせることが可能であり」「萌えを加算的に(場合によっては乗算的に)増加させる」ことのできるのがこれら二つの装備品なのである。同じ理由でナース服や巫女さん服などの職業コスプレを除けば、メガネとスクール水着はその効果の面である程度類似するものであると言え、これらを分解することで、外見的な萌えを表現または検証する場合のひとつの指標になるものが見つかるのではないかと推察できる。
では、それぞれについてとりあえず簡単に考察してみよう。まずは、メガネっ娘。メガネといえば、当然ながら顔に付ける物であり、いわゆる仮面に近い効果があると考えられる。ガンダムの敵キャラに代表されるようなホントの仮面もあれば、髪の毛で顔が隠れたりしているキャラも居たりして、「その先に何があるのか」という魅力がそこにはある。続いて、スク水っ娘。言わずと知れた学校指定の水着のことであり、そういったものを普通なら着ないはずの時に着たり普段なら着ないはずのキャラが着たりすることでアンバランスさが強調され、更にはスク水はその他の水着より『厚い』『ガードが固い』などのイメージが付きまとうことによって、「よりその先を求めたくなる」という魅力が自然と発生する。つまり、どちらも、メガネやスク水は『壁』であって、その障害を越えたいという欲求が彼女らへの萌えを加速させるわけである。なるほど、これで、メガネっ娘とスク水っ娘の共通点が分かった。めでたしめでたし。
そんななわけはない。
この程度のことでメガネっ娘やスク水っ娘への萌えが解明されるのなら始めから議題には載せないし、そもそもこういった類のものなら他のコスプレでも考えられる。考えるべきは、この二つの属性が、他のそれよりも「広く」「深く」この世界に浸透している理由であって、建前はとりあえず脇に置いておくのである。いつものことだが、上記の理由で満足する人はこの先を読む必要は全然ないし、メガネっ娘やスク水っ娘が浸透しているなんて知らない、或いは信じられないという人は、出直してくるがいい。
では、より深く探るために、それぞれの歴史を振り返ってみよう。まず、メガネっ娘だが、そもそも古い時代のマンガやアニメでは、メガネキャラに権利はなかった。当時、出番すら少なかった彼女らの居場所といえば、ガリ勉で生真面目なだけの嫌われ者の生徒であったり、口煩い教頭先生であったり、顔が書くのが面倒扱いされた脇キャラ程度だった。地味なキャラなど流行らなかったのである。彼女らが少しは出始めたのは、わりと最近になってからで、一説によるとDr.スランプアラレちゃんあたりからメガネキャラの出番が増えてきたといわれる。それでも、その頃でも本当の意味のメガネっ娘萌えというのは皆無に近かった。なぜなら、「メガネをかけている美少女」というのは、「普段のメガネをかけている状態では地味で目立たないけど、メガネを外したら美少女」というパターンであって、メガネ本体が邪魔者扱いされていたのである。そんなもの、メガネっ娘萌えだなんて呼んで許されるはずがない。メガネっ娘萌えとは、あくまでもメガネをかけているから萌えるのであって、うっかりメガネを外した場合にはキャラが変わるか目が33になるというお約束を実行しなくてはいけないのである。そんなメガネっ娘が前面に出てきたのは、私の狭い知識のみで申し訳ないが、ToHeartの委員長やこみパのパンダあたりではないかと勝手に想像している。要するに、メガネっ娘が注目され出したのはかなり最近であり、そのあたりから丸メガネブームがあって、最近だと某ブログの女王だったりして、現在に至るわけである。
では、続いてスク水っ娘。スク水も実は、振り返ってみると、昔はあまり権利のあるものではなかった。アニメなどでも、当然ながら地味というイメージが付きまとい、例えば夏休みにクラスのみんなと遊びに行こう的な楽しい展開になって、海に着いたぞさあ泳ごうという時、他の女の子はビキニやワンピースでキメている中、ひとりスク水を着ているヤツなんて居たら、爪弾きになったものである。そんなスク水が注目されだしたのは、アニメの萌えが進化して、萌えの対象となるキャラの年齢層に幅が出た結果、多少無理な展開ながらも色々な年齢のヒロインが一同に会してプールで遊ぶシーンになった時など、他のないすばでぃーな大人の女性キャラに負けないよう、幼女キャラが自己主張としてスク水を着始めた、なんて所以があると考える。そして、各所のアニメやマンガにスク水が出る中、もはや説明するまでもない、学校指定のスク水が仕様変更されるという大事件が発生したのだ。以来、一部のフェミニズムを名乗るけしからん輩の手によって本物のスク水は現実から姿を消しつつあるが、ある意味逆効果か、過去のスク水を『旧スク水』と称して、萌えの世界ではむしろ加速してしまったという事象が現在なのである。
以上、説明しきったところで、結論は簡単にいく。かなり勝手な想像で持論を展開してしまって申し訳ないが、何が言いたかったかというと、「メガネやスク水には、装備する者に関係なく、それ単体で過去と呼べるものがあり、尚且つそんな過程をじっくりと成長してきて現在に至るものである」ということである。ファンタジーの世界で言えば、それらは伝説の剣のような物であって、受け継ぐたびに強力になる秘めた力を持つとものと考えられる。まあ、こんな壮大な喩え話になってしまって逆に掴みにくくなったかもしれないが、結局何を主張したかったかというと、コンタクトであったり新しい地味な水着などで淘汰されていくにはもったいない物なので、いつまでも残っていって欲しいものだ、と思うわけです。そんなわけで、今回はこれにて。
管理人。