いつもは長ったらしい前置きがあって読む人を飽きさせていると思うので、今回は先に議題の主旨から言う。今回の主張は「幼なじみとメイドさんへの萌えの一部は同じ部分に帰結する」というものである。少々強引に聞こえるかもしれないが、いくつかの例を挙げていけば少しは理解していただけるものと考える。尚、今回のように、幼なじみを語る上で避けて通れないのが『ツンデレ少女への萌え』に関する話であるが、今回はあえてその部分を省き、次の機会に回すことにする。
さて、ではさっそく、検証に入ってみよう。まずは、一日の始まり、主人公の寝起きから。稀に例外はあるが、寝起きの悪い主人公の場合、往々にして彼を起こしにくるのは、幼なじみがいれば幼なじみの役割だ。実に羨ましい話である。(この場合、例外とは、幼なじみの方が寝起きが悪い場合である。)また、これとほぼ同じ確率で、メイドさんがいれば、それはメイドさんの役割だ。実に羨ましい話である。ここは両者の共通項であるといえる。また、その次点あたりで妹が起こしにくるパターンもあるかもしれない。では次。朝起きて、部屋から出てキッチンに向かうと、そこで温かい朝ご飯を作ってくれているのは誰か。現実の世界だったら、普通はおかんか自炊ということになるが、なぜかこの手の世界の主人公は一人暮らしが多いので、幼なじみがいれば幼なじみ、メイドさんがいればメイドさん、彼女らの役割になる。実に羨ましい話である。これもまた共通項だ。そして次。通常彼らの年齢は十八歳を超えている場合が多いはずなのに、主人公は朝ご飯を食べ終わると早々と制服を身につけて学校へ向かう。誠にご苦労な話ではあるのだが、幼なじみがいれば、一緒に登校するのは幼なじみ、メイドさんがいれば、玄関まで送り出しに来てくれるのはメイドさんなので、やっぱり実に羨ましい話である。ここは両者に少々の差が出てしまったが、更に次がある。普通に登校し、順調に授業が進み、さあ昼休みだ、という時、弁当(またはパン購入用の資金)を忘れてしまう展開は多々ある。現実だったらあっさり飢え死にしてしまいそうなほどうっかりが過ぎる主人公であるが、ここで天文学的に高い確率で助け船が現れる。幼なじみがいれば、なぜか作りすぎたお弁当を分けてくれるし、メイドさんがいれば、連絡してもいないのにお弁当を届けてくれる。羨ましい。実に羨ましい話である。
このように、ゲームの中で日常と呼べそうな範囲内だけで、かなりの共通点が見つかった。さらに、ストーリーが進むにつれて現れてくるシチュエーションに関しても、共通点が見つかる。まず、主人公に何か深い悩み(例えば将来のことや、ストーリー上で重要な分岐点にさしかかったなど)が発生したとき、最も良き相談相手になるのは、幼なじみかメイドさんである。もちろんこれは、彼女らが主人公の事を一番知っている存在である、というだけでなく、多くの場合に於いて、その先に進むべき道の選択が、彼女ら自身にも影響を与えてくるためでもある。また、この悩みと言うのが、幼なじみやメイドさん「以外」へのキャラの恋愛となった場合でも、相談を持ちかけられるのは彼女らになるパターンが多い。ステレオタイプではあるが、このシチュエーションは彼女らを語るに於いて欠かすことの出来ないモノである。
更に、他にもある。昨今の伝奇モノや魔法少女モノ、あるいは死神少女モノのブームにおいて、目立って存在するのが「主人公が誰かとHなことをしなくてはいけない」シチュエーションである。敵の魔の手によって罠に落ちた主人公に呪いがかけられる、あるいは主人公の死期が近づいているのを知らされる、といった状況で、それを救うには異性との性交が必要になる、などという王道のパターンに於いて、その相手となるのは、幼なじみがいれば幼なじみ、メイドさんがいればメイドさんである。これこそは100%と言っても過言ではないという感覚すらあり、エロゲーがエロゲーである醍醐味のひとつともいえる。
さて、長くなったが、ここからが一応本題である。「幼なじみとメイドさんの萌えシチュエーションは共通する部分が多い」というのは上記の検証で分かっていただけたと思うが、そもそも、「幼なじみ」と「メイドさん」と並べて書くと、全く正反対のリレーションにすら思える。というのに、検証の結果は見ての通りだ。ちなみにgoogle先生に伺ってみると、ヒットする件数はほぼ
五分と
五分のようである(注:当然ながら選ぶ言葉によって結果は違います)。このように、正反対のはずなのに似たような萌えの要素がある、といった観点から、リレーションが与える萌えへの影響についての考察は以下のようになる。
リレーション、つまりは「間柄」とは、言ってしまえば、プレイヤーがキャラ相互の距離感を見定めるための指標である。「犬」と「猿」と言えばその間柄がケンカ相手であると想像出来るのと同じように、「幼なじみ」と「幼なじみ」と言えば恋愛モノのステレオタイプの基本であり、「ご主人様」と「メイドさん」と言えば主従関係の代名詞となる世界共通語であるわけだ 。そういった、 "普段から最も近しい存在" であるという相互関係が前提としてあり、そこから恋愛に発展するためには一旦それら二人の距離が広がり、離れるだけ離れて絆の糸が切れる寸前、もう一度急接近してモトの鞘に戻る、そういうありきたりなストーリーをすんなり受け入れてしまえることがリレーションの醍醐味である。あらゆるストーリーを組む上で、それぞれのリレーションが様変わりし、新たなリレーションとなる、或いは元のリレーションに戻る、というのが重要な骨格のひとつになるわけだ。
昨今の萌えブームで量産されているのが、これが特化しされた物である。マガジンあたりの
あざとい流れなど、リレーションの単調なシーソーゲームだけで読者を獲得しているような作品が横行している状況を見る限り、なんだかなー、と阿藤快ばりの溜息が出てしまうわけだが、そうはいってもこういうのも否定ばっかりしてられないのだ。なにしろ、このお手軽さ、ビデオやネットが発展した根本である成人向けメディアと同じ性質なわけだ。リレーションの綱引きだけでそこそこヒットするストーリーのマンガの連載や(フェチもの以外の)恋愛ゲームの制作が出来るお手軽さは、その他のしまぱんだとかネコミミだとかの属性には出来ない芸当というわけである。萌え文化の発展の上で「顔」と「底力」の二役を果たした幼なじみやメイドさんは、なんだかんだいって、結局羨ましいの一言に尽きるわけであり、なんだか結局自分の欲望になってしまいましたね、ごめんなさい、と言ったところで、また次回。
管理人。